公開シンポジウム「ジェンダー史から考える女性医療従事者」
日時:2019年7月7日(日)10:30-17:30(終了しました)
場所:東京大学東洋文化研究所3階大会議室
共催:
科研基盤研究A「ジェンダー視点に立つ「新しい世界史」の構想と「市民教養」としての構築・発信」
(研究代表者 三成美保(奈良女子大学))
科研基盤研究A「イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究」
(研究代表者 長沢栄治(東京外国語大学))
プログラム
開場 10時25分 | |
10:30~11:45 | 報告① 鈴木則子(奈良女子大学) 「江戸時代の女性医師と婦人医療~近代日本医療環境の前提として」 |
11:45~12:45 | 昼食(60分) |
12:45~14:00 | 報告② 永藤欣久(東洋学園大学 東洋学園史料室) 「近代日本における女性歯科医師の養成 ―旧制東洋女子歯科医学専門学校の事例を通じて」 |
14:00~15:15 | 報告③ 阿部奈緒美(奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター 協力研究員) 「明治から昭和初期における大阪の産婆団体史 ―団体運営の自律性と男性医師との関わりに着目して―」 |
15:15~15:30 | 休憩(15分) |
15:30~16:45 | 報告④ 細谷幸子(国際医療福祉大学) 「イラン・イスラーム共和国における女性看護師」 |
16:45~17:30 | 総合討論 |
終了後 懇親会(研究会に参加予定の方に、別途出欠をおうかがいします) |
*昼食は、各自ご用意ください。
研究会へ参加を希望される方は、準備の都合がありますので、6月28日(金)までに
イスラーム・ジェンダー科研事務局 islam_gender[at]ioc.u-tokyo.ac.jpまでご連絡ください。
開催報告
公開シンポジウム「ジェンダー史から考える女性医療従事者」
日時:2019年7月7日(日)10:30-17:30
今回のシンポジウムでは、近代日本医療史における女性医療従事者についての3本の報告に加えて、イラン・イスラーム共和国の女性医療従事者をめぐる報告をいただき、これまでにない新しい視点からの議論が展開された。のべ40名ほどの参加者があり、フロアを交えた総合討論も大いに盛り上がった。
各報告の概要は以下のとおり。
第1報告「江戸時代の女性医師と婦人医療~近代日本医療環境の前提として」
本報告では、日本近世の女医関連史料を紹介しながら、江戸時代においては婦人科・小児科医療を中心に、女医が広範に活躍していた実態を示した。女性たちは男性医師同様に正規の医学塾で学ぶことができ、専門医学書を出版したり、男性の弟子をとる女医もいた。そもそも近世とは、医学塾だけでなく儒学や国学・蘭学・俳諧・和歌・絵画など様々な領域の私塾が男女共学であり、優秀な女性文人があまた輩出された時代であった。むしろ明治以降の教育システム、医師制度(医制)の創出が、女性の活躍を制度として阻んだ側面があったと考えられる。(鈴木則子)
第2報告「近代日本における女性歯科医師の養成 ―旧制東洋女子歯科医学専門学校の事例を通じて」
管見によれば近世の歯科医療に女性が従事した記録は見いだせない。近代西洋歯科医学は横浜での1865(慶應元)年の米人歯科医を初例として、以後強くアメリカの影響を受けた。学歴を問わない検定試験を経て1903(明治36)年の専門学校令、1906年の医師法・歯科医師法(旧法)以後の歯科医育は高等教育による段階に進み、大正期を通じて文部大臣が指定する旧制歯科医学専門学校が出揃った。1909年に東京女子歯科医学講習所が開設され、1917(大正6)年に明華(後東洋)女子が加わり、講習所から各種学校、専門学校、同指定校へと水準を高めた。以上のような背景の下、済生学舎で学び、女性初の公許歯科医となった高橋孝(歯科医籍登録1894年)から最後の旧制卒業生(同1950年)まで、8人の事例を通じてそれぞれが受けた教育の実相とその後の歩みを概観した。指定校の水準に達した旧制女子歯科医専2校は占領期の医療・学制改革で失われ、女子校による歯科医育の実績は社会から忘却されている。(永藤欣久)
第3報告「なぜ産婆法制定運動は大阪で始まったか」
産婆法制定運動は、産婆の業権確立や社会的地位の向上等を目指して、1925(大正14)年に大阪の産婆有志団体「大阪産婆聯盟」によって始められ、全国的拡がりを見せた身分法制定運動である。文献史料調査に基づく検討により、同運動の大阪での開始に影響を与えたと考えられるa.~e.の事柄を抽出した。a. 法定日本医師会と薬剤師法公布 b. 競合者の増加と大阪市第二次市域拡張 c. 健康保険法と女工 d. 労働運動及び女性運動の隆盛 e. 支援する男性医師たちの存在 である。同聯盟創立メンバーの大半は、旧西成郡の産婆たちであった。同郡域には25歳未満の女工が多く、施行が迫っていた健康保険法の助産給付対象者が少なくないと予想された地域的事情があった。また同聯盟の産婆たちの「何としてもこの仕事で食っていく」という覚悟が同運動当初の急展開の原動力となり、男性医師たちの力添えが彼女たちの政治的運動を後押しする欠かせない要素であったことが推察できた。(阿部奈緒美)
第4報告「イラン・イスラーム共和国における女性看護師」
本報告では、日本とは異なる歴史的経緯と文化・社会・宗教的背景をもつイランの看護師の状況を紹介した。ムスリムが多数派を占める中東諸国において、看護師は女性の職業と認識されてこなかったと言われている。しかし、イラン革命(1978年)以前、親米国だったイランで導入されたアメリカ式の看護師養成機関に入学する学生の大多数は女性だった。1985年、すべての看護師教育機関が4年制の学士課程となり、男性看護師の増員計画が実施されたことを受け、現在では看護学部に入学する学生の約半数、看護師の有資格者の約3割が男性となっている。革命後のイランで男性看護師の増員が目指されたのは、イスラームの規範に則り、医療機関内でも同性スタッフによる医療・看護の実践が実現できるようにという目的からだった。報告では、イラン国内で上映された映画(1977年The Circle、1998年Hemlock)と連続テレビドラマ(2016年Nurses)に登場する女性看護師たちの描かれ方の変化にも触れた。(細谷幸子)