イスラーム・ジェンダー学科研公開セミナー
日本に暮らすムスリムを取り巻く諸問題――職場・学校・地域から
日本には、現在20万人ほどのムスリム(イスラーム教徒、外国人・日本人含む)が暮らしているとされ、研修や観光などで訪れるムスリムの数も急増している。私たちは、彼らと共に生きていくために何をすべきなのか、どのようなことを考えていけばよいのか。本セミナーにおいては、職場環境や住環境、子どもの教育など、身近なトピックをとりあげて、皆でそれらを考えてみたい。
◆日時:2020年9月26日(土)13:15~16:50 (開場13:00)
◆場所:Zoomを用いたオンライン開催
開催報告:公開セミナー「日本に暮らすムスリムを取り巻く諸問題:職場・学校・地域から」
2020年9月26日(土)、公開セミナー「日本に暮らすムスリムを取り巻く諸問題: 職場・学校・地域から」がオンラインにて実施されました。本セミナーは当初、2月29日に名古屋大学ジェンダー・リサーチ・ライブラリーで開催される予定でしたが、コロナウィルス感染症拡大により、延期を余儀なくされました。年度を越して開催の可能性を探り、今回、ウェビナーという形での開催に至りました。当初予定されていた名古屋モスク訪問は断念せざるを得ませんでしたが、幸いなことに、予定していた登壇者の皆様すべてにご報告いただくことができました。当日は100名以上の参加者を迎え、本セミナーは盛況のうちに無事終了いたしました。以下にその様子を報告します。
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◆報告文のダウンロードはこちらから。
現在、日本には、約20万人のムスリムが暮らすとされている。私たちは彼/彼女らと共に生きていくために、どのような関係を築いていくべきなのか。本セミナーでは、4人の報告者(伊藤弘子氏、森田豊子氏、サラ・クレシ好美氏、奥島美夏氏)、2人のコメンテーター(石川真作氏、細谷幸子氏)による報告をもとに、滞日ムスリムの現状を考え、そこにいかなる日本社会の一面が浮かび上がってくるのかを議論した。
冒頭で、本セミナーのコーディネーターである小野仁美氏(東京大学)が開会のことばとして、セミナー開催のきっかけや、当日に至るまでの経緯について説明を行った。そのなかで、普段は中東や東南アジアなどの地域を研究対象とする同科研メンバーが、日本に暮らす者として、日本のムスリムがどのように生活し、また、どのような問題を抱えているかを考えていく必要があるという問題意識を共有したことが説明された。
セミナー前半は、服部美奈氏(名古屋大学)が司会を務め、4人の登壇者による報告が行われた。1番目の登壇者の伊藤弘子氏(名古屋大学)は、「日本の入国管理制度とグローバリゼーション:とくにムスリムの定住の観点から」というテーマで報告を行った。伊藤氏は、国際私法を専門とし、グローバルな家族関係に適用される法律を主要な研究対象としている。最初に伊藤氏は国際結婚の事例から見た、日本におけるグローバル化の状況および、ムスリムがマジョリティを占める国・地域出身の定住外国人が少なくない現状を示した。続いて明治以降の日本における外国人政策の流れとその背景を概観しながら、彼/彼女らがどのような形で日本に滞在してきたのかを考察し、国籍法や外国人参政権に関する議論、共存する上での課題を提起した。最後に、日本にいるムスリム住民の在留資格や外国人労働者の内訳にみる日本の外国人政策を、国際的な政治情勢や日本国内の少子高齢化といった社会的な状況と関連させながら提示し、今後の課題と展望を論じた。
2番目の登壇者の森田豊子氏(鹿児島大学)は「日本における1990年代のイラン人移民と2010年代のクルド人移民:異なる問題と共通の問題」というテーマで報告を行った。報告の前半では主に1990年代に来日したイラン人移民について、来日の背景(日本のバブル経済と少子高齢化による人手不足、イラン・イラク戦争後のイランの経済状況など)や来日形態の特徴(単身の男性が多い・疑似亡命目的が存在するなど)とともに、在留資格を持たない外国人の問題について指摘があった。具体的には、社会保障や子どもの教育の問題などが深刻な問題として当時浮上したことが指摘された。子どもの問題は1999年の在留特別許可を求める運動につながった。報告の後半では主にクルド人移民について、多くがトルコ国籍保持者であること(トルコ国籍保持者は査証免除協定により、ビザなしで3か月間の訪日が可能)や来日の状況についての考察がなされた。トルコの国内事情などから2010年代にクルド人移民が日本で増加した時には一定の条件下での就労が許可されていたが、2018年からは難民認定手続き中の就労許可が認められなくなったこと、生活の困難が増す中でも、イラン人移民とは異なり、難民として家族を帯同することが多く、集住する傾向も見られ、そこには文化の再生産がみられることが明らかにされた。最後に、難民を単なる不法滞在者としかみなさないことから現在検討されている退去強制拒否罪などの問題について、他方で、外国人頼みの日本の地域コミュニティの状況や第二世代が抱える問題など、今後日本社会の中で予想される課題について問題提起がなされた。
3番目の登壇者のサラ・クレシ好美氏(名古屋モスク)は、「ムスリム第二世代のアイデンティティ危機とその克服のための取り組み」について報告を行った。ムスリム第二世代とは、ムスリム家庭に生まれた者の中で、主な教育を日本で受けた世代のことを指す。具体的には、1980年代半ば以降に来日した外国人ムスリムの数から想像するに、関東圏ではかなりの数の第二世代が30代に、名古屋では20代に成長していると思われる。報告では、ムスリム第二世代に対する聞き取り調査から、1)マイノリティであることによる学校での居心地の悪さから周囲への同化願望を抱く、2)共有できる理解者がいないことによる疎外感、3)それにより、学校と家庭で別々の自己表出をする子どもたちは、複数の属性の狭間で葛藤を経験するといった事例が報告された。そして、自分の属性を素直に肯定できない状況が「自分とは何者か」という答えを見つけられない心理的な危機状況につながることも指摘された。この危機に対する第二世代の対応として、①過剰な危機への不適応(非行・不登校・アパシー・対人恐怖症・離人症の誘因となる)、②複数の属性を抱えきれない(ムスリムの属性を捨てる)、③無理なく統合し自己を確立する(ムスリムの属性と他の属性は矛盾しない)などがある。ただし、③のケースであってもはじめからそのような対応をとれるわけではなく、彼/彼女らは、イスラーム圏への留学やメディアを利用した学びとマジョリティとしての経験を通して自分の属性を捉え直すことができる。すなわち、理解者・共感者がいることが彼/彼女らの心理的危機状況を克服するために重要であることを示唆した。サラ氏は、家族、学校、コミュニティにそれぞれ役割があるとし、第二世代を対象とする取り組みの具体例として、名古屋モスクのSpace for Young Muslims(SYM)の取り組みを紹介した。
4番目の登壇者の奥島美夏氏(天理大学)は、「滞日インドネシア人看護師・介護福祉士の経験(課題)」というテーマで報告を行った。少子高齢化が進行する日本では、2008年よりEPA(経済連携協定)を通じて看護師・介護福祉候補、2018年より介護技能実習生、2019年より介護の特定技能外国人の受け入れが開始された。これらの人材は大半が東南アジア出身者で、中でもインドネシア人は最多数を占めている。インドネシアには6大公認宗教があり、9割前後の国民はイスラームを信仰することは周知だが、各宗教はさらに多様な宗派・教団に分かれ、民族・地域社会固有の慣習もある。奥島氏は、インドネシアにおける保健医療人材がこのような多様性に対応すべく育成されていることを指摘した上で、日本の医療機関や介護福祉施設で働くことになった彼/彼女らがベール着用や職場の飲み会、断食明け大祭の長期休暇取得、自身の育児などに関する問題に直面し、受け入れ先の機関・施設がどのような対応をしたかの事例を示しながら説明した。また、それらの問題の要因分析とともに、解決方策の可能性も示した。報告のまとめとして、奥島氏は宗教の問題と認識されがちな諸問題の中に、実はジェンダーや職場文化、個人の性格といった問題も複雑に絡み合っていることを指摘した。さらに、インドネシアは宗派や地域民族も多様であるため、一概にイスラームの問題と括ることもできない。そのため、宗教問題か否かを見極めるための複合的な分析視角の重要性が指摘された。
セミナー後半は小野仁美氏が司会を担当し、石川真作氏(東北学院大学)と細谷幸子氏(国際医療福祉大学)2名によるコメントが報告された。石川氏は「ドイツにおけるトルコ移民との比較」の観点から、発表者にコメントを寄せた。ドイツには、1960年代以降、労働力不足を補うためにトルコから多くの人々が出稼ぎに訪れた。1970年代に入ると、外国人労働者の定住化が進むが、ドイツ政府は1990年代まで移民の存在を「いつか帰る人」という位置づけのままにしておき、社会的排除の状況が続いた。移民の子弟は学校教育へアクセスする機会が限られ、貧困の連鎖の背景となるケースもあったという。イギリスやフランスでも同様の状況があったが、結果的に、ムスリム移民の中から過激化する若者が現れ、「ホームグロウン・テロリスト」と名づけられた。石川氏は、イスラームがムスリムをテロリストに育てたわけではなく、若者を追い詰める社会構造があったと指摘する。奥島氏の報告にあった、ムスリムの生活様式への日本側の無理解や、伊藤氏と森田氏が例示した、外国人を労働者としてのみ受け入れようとする日本の制度的特徴は、かつてヨーロッパで生じた政策の課題を再現する危険があると論じた。
次に、細谷氏は日本の「医療機関におけるムスリム対応」について、現場での取り組みをあげつつコメントを行った。近年、日本の医療現場でもムスリム対応が議論され、文化や制度の違いに留意してどのような医療や福祉を提供するかが活発に議論されているという。医療系メディアでも関連記事が取り上げられ、食の禁忌、性別の異なる医療者と患者の接触、礼拝といった事柄について、配慮すべき点が共有されるようになった。対応した経験のあるスタッフが個別の対応例を提示し、即座に実践可能な知識が蓄積されている。とはいえ、細谷氏は、「対応マニュアル」の浸透が注意すべき現象も同時に引き起こしていると述べる。それは、マニュアルの方針がなぜ必要とされるのかという考察が、実務者の間であまりなされない傾向である。イスラームに多様な解釈やあり方があることが顧みられず、出版物や情報サイトが示す情報が却って非ムスリムに先入観を与える恐れもある。細谷氏は奥島氏によるムスリムの看護師・介護士に関する報告に関連して、ケアを受ける側のムスリムに寄り添うためにも、彼/彼女らの意見に対して、さらに真摯に耳を傾ける必要があるとした。
質疑応答と総合討論の時間には、クルド系移民が日本を選ぶ理由についての質問や、日本で働くムスリムEPA候補者が職場の環境改善のために取っている協議の方法、日本に住むムスリムが信仰維持のために必要なことなどについて、多くの質問や感想が寄せられ、各報告者がこれに答えた。また、この時間には、これまで日本のムスリム研究に携わってこられた桜井啓子氏(早稲田大学)、店田廣文氏(早稲田大学)にも登壇していただき、コメントを寄せていただいた。
桜井氏は、本セミナーの報告がマイノリティとして日本で過ごすムスリムの視点と、マジョリティとしてムスリムを受け入れる側の視点が両方含まれていたことを述べた上で、今回の議論をムスリムのみの問題に矮小化させず、日本社会自体が抱える問題として捉えていくことの重要性を訴えた。対応マニュアル作成のような動向は、問題の一部を取り上げるのみで議論の深化に繋がりづらく、多様なムスリムのあり方を見えづらくする側面もある。しかも、マニュアルに当てはまらないムスリムの存在が、マニュアル通りに振る舞うムスリムから疎外される懸念さえある。桜井氏は、無知よりも無関心が大きな問題であるとする。ムスリムや日本社会という大きなまとまりの性質に個人を当てはめて考えるのではなく、一人ひとりのニーズを自分たちの問題として親身に聞き取り、他者とコミュニケーションを重ねる努力の必要性に焦点が当てられた。
続いて、店田氏は、在日ムスリムの動向について最新の統計データを示しながら、今後もムスリム・コミュニティと非ムスリム社会の対話の継続が求められるとした。2019年末時点で、在日ムスリムの数は23万人に達し、うち日本人ムスリムの数は5万人弱いると推定される。医療分野を含め、様々な場でムスリムの問題は外国人の問題ではなくなっているという。店田氏は多様なイスラームのすべてを理解しようとするのは膨大な作業であるものの、非ムスリムとムスリムが交流する姿勢は、無知・無関心から起こる問題を解決するために肝要であるとした。
最後に、長沢栄治氏(東京外国語大学)が閉会のことばを述べた。長沢氏はコロナ禍のソーシャル・ディスタンスは、物理的な意味だけではなく、社会的な意味があるとする。物理的には、人と人が適切な距離をとることが求められる。一方、オンラインなどの活用で逆に社会的な距離が近づく瞬間もある。ムスリム対応のマニュアル化の例などは、コミュニケーションの減少によって、他者、さらにいえば弱い立場の人々との社会的距離を広げる作用もある。長沢氏は、イスラーム・ジェンダー学科研の目的は、ムスリムの女性というテーマを扱うことを通じて、つまりそれを一つの入り口として、研究者自身が所属している日本社会が抱える基本的問題に目を向けることにあるとする。そして、研究会などを開催する意義は、問題意識を共有する人々のネットワークの形成にもあるとし、本セミナーを締め括った。
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今回のセミナーにおいて、重要な論点の一つは、「ムスリム」と括られる人々の間にも多様な考え方や振る舞いがあるということでした。様々な国籍と訪日目的を背景に持つ滞日ムスリムはそれぞれ固有の悩みを抱え、当事者は問題解決に向けて試行錯誤しています。一方、彼/彼女らを受け入れる日本社会に目を移してみると、政策的に外国人を積極的に受け入れようとする動きがあります。しかし、制度の面でも生活環境の面でも、ムスリムとの共生に向けたプロセスには課題も存在しています。セミナーの後半で登壇者の先生方から指摘があったように、目の前にいるムスリムの不安や希望の声に耳を傾けて問題解決の道を探るためには、ムスリム対応のマニュアル化に見られるような単純化や効率化の方策だけでなく、日常的かつ継続的に意見交換ができる場がより重要になると思いました。また、グローバル化の進行によって多様な生き方や価値観を持つ人々が身近になっていく今、滞日ムスリムの問題に関心を向けることは、宗教に限らず、様々な個性を持った人々が快適に暮らせるような、よりよい日本社会のあり方を考える鍵の一つともなります。
今回、セミナーの報告書を作成した2人は、現在大学院でそれぞれエジプトとインドネシアの教育を研究しています。両国はともにイスラームが広く信仰される国ですが、そこでは「いろいろなムスリム」に出会う機会があります。信仰心の強さも人ぞれぞれであり、宗教の解釈の違いによって物事の考え方も異なります。近年は日本でもムスリムと触れ合うことが増えました。礼拝スペースを備えた大学もあり、街でヴェールをまとった女性の姿を目にすることも珍しくありません。とはいえ、日本の家族や友人との会話からは、イスラームに関してステレオタイプな見方をする人や、そもそも何のイメージも持っていない人も多い印象です。今回のセミナーは、日本社会の中にあるイスラームの問題に気づく、刺激的なきっかけとなりました。マイノリティとして日本で暮らすムスリムの人々の声を自分自身が無視してしまわないためにも、今後の研究において、ムスリムの生活の多彩さと豊かさを丁寧に描き、日本社会で発信していく責任は大きいと考えました。
報告:内田直義(名古屋大学大学院)、アズミ・ムクリサフ(名古屋大学大学院)